私は材木屋の店主ですが、木材の産地を見る機会はほとんどありませんでした。最近は青梅の中島林業さんとお付き合いをするようになり、山、原木市場、製材工場に出かけていますが、その他の産地に行く機会はなかなかないものです。 今回は、材木屋ならば一度は体感してみたいと思う木曽桧を視察させていただく機会を得ました。 私の妻(当社総務部長で今回同行しました)の父方で縁がある新津清亮さんが昨年林野庁の木曽森林管理署長として赴任されたことがきっかけです。 木曽は国有林です。建築用材として最高の木材、木曽桧の産地を管理されている責任者のお話を伺い、一緒に森や市場を体感できる貴重な視察となりました。 以下私なりに理解できた木曽の森や木の話を書き留めてみます。 ①古くから木曽の桧は強度のある良質な木材とされていた。 ②西暦1600年前後の時代には豊臣秀吉や尾張徳川藩が直轄地として、築城や船舶、土木の材料として大量に伐採した為、山が荒れて樹木が少なくなってしまった。 ③江戸時代には住民の立ち入りを禁ずる「留山」、「停止木(ちょうじぼく)」としてヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコの5木の伐採を禁ずるなど厳しい森林保護政策が行われた。 ④残った木々から落ちる種から芽生えた新しい木々(実生稚樹木)の成長を見守り続けた。 ⑤一般的な植林や間伐、枝うちなど人が手を入れた人工林ではなく、木曽の桧は自然に芽生えた木々の自然な成長を見守り続けた天然林。 ⑥その後も明治時代には皇室の御料林、伊勢神宮の遷宮用備林、昭和の時代は国有林の保安林として見守り続けられている。 ⑦現在300年程度の樹齢になっている木々はそのような見守りの成果である。 これからの時代は、豊臣や徳川の時代の伐採以前の天然林の森の姿に戻るよう、新しく芽生える木々の成長をゆっくり見守りつつ、少しづつ成長した木々を大切に資源として活用していくそうです。「もともとの森へ、ここにしかない森 木曽悠久の森」の考え方です。 視察した300年生の木の足元には、芽生えたばかりの1年生、5年生といった木々がありました。新津さんの話を聞いて足元に注意して歩くようになりました。せっかく芽生えたものを踏みつぶしたら大変だと感じたからです。 古くから残る大量伐採の跡や、伊勢神宮の遷宮に使われる御神木の伐採の跡、学術研究の試みなども見て、今までの木曽の森、これからの森の姿を学びました。 池田浩康
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2017.8.2 19:00